田中 優子さん

田中 優子さん

法政大学総長

神奈川県横浜市生まれ

法政大学文学部卒業

法政大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得満期退学

自分のやりたいことから「離れない」、やりたいことを「手放さない」。

法政大学への進学を決めたのは素晴らしい教授陣の存在でした。

高校は鎌倉市にあるカトリックの女子高でした。当時はほとんどの生徒が女子大に進学するような学校でした。わたしは高校から予算をつけてもらって校誌をつくっていました。その編集委員をやるなかで、たくさんの文章を書いたり、読んだり、雑誌ですから写真を撮ったりということをしていました。法政大学への進学を勧めてくださったのは、そこで顧問されていた国語の先生でした。先生が法政を勧めてくださった理由は、益田勝実先生や小田切秀雄先生、廣末保先生、表章先生、外間守善先生といった、錚々たる教授陣が法政大学の文学部に在籍されていたからでした。わたし自身は、日本文学以外にも、フランス文学や写真にも興味があったのですが、まずは法政大学の文学部で魅力的な教授陣のもと日本文学をしっかりと学びたいと考えました。

言語学、日本文学、フランス語など、とにかく忙しく過ごした学部時代。

学部学生時代は、学生たちでさまざまな研究会を立ち上げ、そこで勉強したり議論をしたりしました。授業では1年生のときに開講されていた言語学の特講をどうしても受講したくて、とても朝早く起きて先着順の授業に申し込んだ想い出があります。この当時の言語学は、フランス構造主義言語学の考え方が導入されたばかりでとても先進的でした。苦労して洋書を入手して、受講する学生どうしで研究会を立ち上げて取り組んだこともあります。そもそも言語学は初めてでしたし、フランス語の理解も必要だったので、かなり背伸びしていたように思います。この言語学への取り組みだけでなく、日本文学、そしてフランス語は大学の授業だけでは不十分だと思い、日仏学院で文献講読、アテネフランセでは会話を学びました。この語学学校の費用は、横浜・関内のレストランでのアルバイト代でまかないました。とにかく忙しい毎日を過ごしていました。

大学3年生からは小田切秀雄先生のゼミに入りました。ここでフランス文学者である石川淳(作家)を研究テーマとしたことが、江戸文学との出会いにつながったのです。

「江戸文学をもっと知りたい」という想いと大学院進学

学部時代に江戸文学と出会い、その時点では江戸文学のことはまだ何もわかっていなかったのですが、とても感動し、非常に深く心を打たれたのです。

「江戸文学をもっと知りたい」という強い思いが、わたしに大学院進学を決意させ、進学準備に駆り立てました。人は「知りたい」と思うから勉強するのであって、知識があるから感動するわけではありません。あのとき全身全霊で感じた「江戸文学への想い」はいまでも全く変わっていないのです。

自分のやりたいことから「離れない」、やりたいことを「手放さない」。

自分のやりたいことが、必ずしも仕事になるわけではないけれど、「自分のやりたいことをいつもそばにおいておくこと、離れない、手放さない」ことが大切です。それが職業とつながらなくても、やりたいことがそばにあるだけで「生きがい」や「喜び」を感じることができるからです。

苦手なことにも前向きに取り組むことで、自らの能力開発をしてきました。

実社会に出ると、自分の適性に合っていないと感じる仕事や、困難な仕事にも向き合うことが求められるでしょう。苦手なことに取り組むのはつらいことですが、その苦手な分野に挑戦することが自らの能力開発につながります。意外な能力に気づくこともあります。仕事は適性の有無ではありません。どのような環境でも自らの能力を伸ばすことはできるはずです。何事も前向きにやってみることが大切だと思います。

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